Bricoの放浪記

ガンを乗り越えて、ゆる〜〜く旅する生き方を選んだ 旅と免疫力アップの日々のブログ

バリのお弔い

朝、海辺のヨガを終えて 宿に戻りシャワーを浴びてゆっくりしていたら 

なにやら ざわめく人々が、そして大通りからガムランの演奏が 近付いて来て 宿の前の海に続く道をゆっくりと進んでいる、

なになに?

見逃してはならないと慌てて部屋に鍵をかけ、行列を見に出た、出た時にはガムラン奏者の一団は通り過ぎ、バリの民族衣装の男性の一団が続いていてそのあとに赤い輿の様なものを担いだ人々が通り、そのあとに女性達の一団が続いて 行列の最後尾に外国人が付いて歩いていて私も一緒になってついて行った。

歩きながら 行き過ぎた輿の後ろ側に男性の写真が飾られているのに気づき、派手な行列ではあるけどこれは お祭りではなく 御葬式なのだろうと解った。

 f:id:michimichi141:20180218012859j:image

私が 海辺についた時には 普段は駐車場になっている広場の一角で儀式が始まっていて 多分親族の人達だろう一団が儀式をしていて それを遠巻きに多分 ご近所さんやお知り合いの方々が見守っている感じで木陰などで談笑していた、ちょっと図々しいかな?と思いながらも遠巻きの人に混ざって儀式をみていた、

御葬式の一団は輿から棺桶の様な白い箱を下ろして数人で担いで親族の回りを周り私の場所からはよく見えなかったけれど そのあと御遺体を白い棺桶から出し 竹で作ったような棺桶が別にあったのでそこに納めたようでした。

そうこうしてると見物人達 白人の人々が どんどんそばまで行って取り巻いてしまい、

いいのかな?と思いつつも 私も近くまで行って見た、

しかし、そこで見たのは、儀式をしている人の中にまで割り込んで携帯で動画撮影している白人数名。

御葬式は見世物じゃない 家族を亡くした人々の気持ちになったら腹だたしい、なんて無神経な!と呆れたけれども

バリ人からしたら私も無神経な見物人の一人でしかないと思い、申し訳ない気持ちになり 心の中で詫びながらその場を去った。

 

自分の知っている宗教ではないからと言って ほかの宗教の人を軽んじてはならないし、いずれの宗教にも敬意を払うべき と思っている。

 

 話は飛躍するけれど、他宗教への理解と敬意を払うことが出来ていたら 今のパレスチナイスラエルの問題、イスラミックステートの問題も起こってなかったかもしれない、長い間の 欧米人の圧倒的自己優位思考、他宗教への無神経が引き起こした問題だとも言えると思っている。

 

(と、とりとめも無くなってしまいましたが 今日 考えさせられた、事でした。)