Bricoの放浪記

ガンを乗り越えて、ゆる〜〜く旅する生き方を選んだ 旅と免疫力アップの日々のブログ

#ゴッホ終焉の地 #オーベル・シュル・オワーズに行った。

パリから北へ1時間ちょっと、ゴッホが最後の時を過ごし自ら命を絶ったオーベル・シュル・オワーズに行きました。

去年の7月にも訪れたことがあるのだけれど 

その時は駅を出て左方向に歩き ゴッホの下宿していたラヴー亭を見学して、

オーベル・シュル・オワーズ城、

ガシェ医師の家と見て回り 

そこから引き返して 村を横切り森を抜け 一面の麦畑を歩きぬけ 

ゴッホのお墓のある墓地にたどり着いた時には 結構疲れていて、

さらにオーベル教会にたどり着いた時には拝観時間が終りかけていて 

バタバタと追い出される感じで帰路に着いたので

今回は 駅から右方向 まずはオーベル教会に向かいました

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 ありがたいことに教会の入り口は観光客から隠れた斜め奥にあり 中に入っている人は誰もいなくて 質素な村の教会でしばらくゆっくり息をさせてもらいました、

 

教会を出て墓地に向かおうとしたら アジア人の一団がやはり同じ方向に歩きはじめ

ちょっと嫌かなと思っていたら墓地に向かう道ではなく畑の方にまっすぐに進み始め

そういえば去年麦畑を縦断しているときに

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「あ、ここがあの黄色い畑と 青い空 黒いカラスの絵のところだ」と思った場所があったのだけれど あとで考えたら 自殺をした場所でもあったのかもしれないと思った どうやらそうらしい 畑の農道が交差するあたりに看板が立っていて さっきの団体が記念撮影していた。

彼らが 墓地に到着する前にお墓参りをしておこうと

 

ま、ゴッホさんからすればどちらも観光客でしかないかもしれないけれど 私には深いリスペクトがある と勝手な線引きをして。。。。

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ゴッホが滞在していたラブー亭 

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 屋根のところに明り取りの窓がありますがそこの屋根裏部屋にゴッホが下宿した小さな部屋があります。

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ラヴー亭のレストラン

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向かいにある村役場

(ここからは去年のです)

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下宿からガシェ医師の家までの 村の風景(結構遠い)

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ガシェ医師の家 と 庭

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お墓に続く麦畑

 ゴッホはこの地に70日ほど滞在しその間に80枚以上の絵を描きました

教会の絵もわずか2時間ほどで描き上げたそうです。

ガシェ医師ともうまくコミュニケーションが取れていたのじゃないかと思いますが

ガシェ医師の家の裏手には患者用の拘束病室(岩盤をくりぬいて作ってある牢屋のような病室があります、)そこにはきっと狂ってしまった患者が入院していて ゴッホはそれを目の当たりにして自分の行く末を悲観したのではないのかな~と思ってしまいました。

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ゴッホの隣に葬られている弟のテオはゴッホが死んだ翌年に亡くなっています

テオの奥さんは テオがゴッホの支援をすることに賛成せずゴッホにもテオにも冷たかったようですが 二人の死後それまで一度もゴッホの個展などしたこともなかったのに回顧展を開いて大儲けしたそうです、その奥さんはどこで眠っているのでしょう?

普通お墓の墓石は遺体を埋葬した部分を覆いつくすよう墓石がかぶせられていますが

ゴッホとテオの小さな墓標以外は植栽で覆われているのが悲しいです。

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