Bricoの放浪記

ガンを乗り越えて、ゆる〜〜く旅する生き方を選んだ 旅と免疫力アップの日々のブログ

fiji フィジーってどんなとこ?

皆さんが思い描く、そしてフィジーに来た 私たちが思い描いていた 南の楽園フィジーは フィジー本島には ほとんど 存在しません、

イメージされているフィジーは いわゆる離島リゾートで 何もなかった島々に 欧米人が 彼らの思い描く楽園リゾートホテルを作り上げ  そこにフィジーテイストを振りかけて作り上げた虚構の楽園フィジーです.

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 フィジー共和国にたくさんある離島は もともと水の確保がむつかしく 人々が住むことのできなかった島々です、だからそこには美しい自然はありますが  フィジーの文化はありません、あるのは欧米人によってアレンジされた見世物としてのフィジーらしさです。

 

フィジーは紀元前からメラネシアポリネシアの混血でフィジー民族が形成されていましたが1643年に オランダ人がフィジーを確認、その後イギリス人が キリスト教を布教し 銃を持ち込んだためフィジーの混乱の時代が始まりました、
この混乱を治め フィジー諸島を統一したザコンバウ王が キリスト教に改宗、
1874年 イギリスにフィジー譲渡を申し入れ その後100年ほどのイギリス植民地時代が始まりました。
イギリスは植民地でサトウキビ栽培のプランテーション経営をはじめ 労働力としてインドからインド人を多量に送り込み、その子孫たちが現在フィジーの人口の約40%を占めています、
もともとのフィジー人は気候も良く 食べるものにもさして困らず、コミュニティの中で助け合いの精神が強く、なんでも平等で分け合う平穏な民族なので あくせく働くという気風がないのが特徴で、よくも悪くも呑気で陽気な人達なのです、一所懸命働くインド人とは違ういます。

政治的には多数を占めるフィジー人が政府の要職を占めていますが 経済は圧倒的に 勤勉で お金もうけの上手な インド人が握っています 当然の結果として 両民族の間に対立が存在しています。

フィジーに 旅行会社の手配するツアーで来る人々は 到着してすぐに離島リゾートに移動し 帰国前の一日をフィジー本島で過ごすだけの人が ほとんどですので その方たちには関係ありませんが、

(ここからは語学留学を考えている方に向けたメッセージです)

フィジーはもともと経済的には低いレベルにありますが 観光産業やその他により貧富の差が近年顕著になっています、犯罪の確率としては低い数字ですが 犯罪は増えています、 ターゲットは外国人です、フィジー本島で街中を歩いている観光客の数はにあまり多くありません、結果 狙いやすいいのは 街中をうろうろしている語学学校の留学生 ということになります。

 実際にラウトカという町にある日本人の学生の寮が強盗に襲撃されたこともありますし 最近でも留学生の男子3人が首都の街中で襲われて被害にあっています、小さな盗みは頻繁にあります、このような事実は語学学校からはインフォメーションされていません。

フィジーを選ぶ理由として 費用の安さもありますが アメリカや イギリスに行くより圧倒的に治安がいいだろうという考えは あまりあてはまりません。

 また、フィジーマジックという言葉があります とてもロマンチックな使われ方で 南の開放的な雰囲気の中で恋に落ちやすいということなのでしょうが ほかのアジアのリゾートでもよくいますが いい加減な ジゴロ野郎がたくさん存在するのも事実です。

つい最近 私の友人がフィジーに滞在している間に恋に落ち 相手のフィジー人が別のアメリカ人女性と結婚したということを 彼女がイギリスに帰ってから知ったという事態がありましたが はたで見ている人間からすれば どちらを愛していたかというよりは どちらの女性が よりお金を持っていて 都合がいいか?ではなかったのかと思っています。

話がだんだんそれてきたのでこの辺で終わりにします。

長々読んでいただいてありがとうございます。